赤土色のたより

「もうすぐ日が暮れますね」
 と、私が窓の外を眺めながら言えば、
「そうだね」
 と、隣の彼も空を見上げて答えます。先ほどまでにぎやかだった蝉時雨もこのぐらいの時間になればすっかり止んで、いまは少し離れた港から届く船の汽笛を聞いていました。
「嘘みたいだと思いませんか」
「どうして?」
「このまま夜が来て次の朝を迎えたら、私も貴方も、もういないだなんて」
 彼の透ける毛先が落陽に照らされてきらきらと揺れています。
「お前も消えるの?」
「消えますよ」
 私も、貴方も、みんなみんな。
「そっか。でも、今回はお前をひとり待たせずに済むんだな」
 と、なぜだか彼は嬉しそうに言いました。
「俺は昔のことをあんまり覚えてないんだけどさ、お前とは何気にずっと仲良くやってるんだろ?」
「そうですね」
「だったら、セトウチを挟んでいる限りはいつかまた友だちになれるんじゃない?」
 頬を掻きながらこちらを向いた彼に、私は息を飲みました。
 それは、とてもみずみずしい生命の色でした。なにもかもが暮れの色に染まる世界で、そこだけが新緑を宿していました。
 彼は酷く戸惑う私に気づくと、ばつが悪そうに顔を逸らして「たぶんね」と慌てて言葉を濁します。
「貴方、もしかして……」
「どうかした?」
「……いいえ、なんでもありません」
 ああまさか、ここで貴方に会えるとは。
「ひとつ、お伺いしてもよろしいですか」
「うん、なに?」
「この先、お互いの姿形や立場が変わることがあっても、貴方は親友でいてくれますか」
「……――、その台詞」
 それは閃光のように瞬き、彼の脳裏にとある記憶を映します。
『――ふふ』
 風のさらった小さな笑みは、一体誰のものに聞こえたでしょう。
「すみません、今のは意地の悪い質問でしたね。忘れてください」
 窓から吹き込む潮風が私の髪を散らかしてゆきます。
 沈む太陽と真昼の月が入り混じって、夢、まぼろし、それから、それから、まっすぐ見据える新緑は、はたして。
 さあ、貴方にとって私は何色に見えますか。
「お前……、いや、あなたは。似ているけれどあいつじゃあないんですね」
「ええ。そして君は、似ているけれど私の友ではありませんでした」
 あのひとは今もあちらに取り残されたままで、だからこの島に流れ着くことはない。
 本当は、はじめからわかっていたのに。
「ありがとうございます。ほんの少しの間でしたが、おかげで懐かしい夢を見ることができました」
 彼が笑って、どういたしまして、と答えます。
「ちなみにあなたと、その友人の名前を聞いても?」
「私の名は備前。それから、友の名は讃岐。私の、大切なひとです」
「そっか。俺は香川。あいつは俺の親友で、名前は……」
 そこまで言うと、香川は顔を歪めて黙ってしまいました。
「……わからない」
「なるほど、だから貴方はここへ流れ着いたのですね」
 それならば、と私は手を叩きます。
「おいで」
 ぱたぱたという音とともに、かわいい幼子がやってきます。
「藍!? どうしてここに……」
「この子は私が浜辺で拾いました。元々は別の姿をしていたのです」
 私の脚にしがみつく頭をそうっと撫でてやれば、幼子は本当の姿へと戻ります。そうして、その宛名のない真っ白な封筒を香川に差し出しました。
「どうぞ、貴方に」
 香川はおそるおそる、まるで壊れ物にでも触れるかのように受け取ります。それから、変に破いてしまわぬように丁寧に封を開けました。

 そこには蒼色のインクでひとこと綴られていました。

「ああ……、あああ……っ」
 ぼろぼろと、大粒の涙が手紙に染みを作ります。見かねた幼子が再び姿を現して、くずおれた香川を抱き寄せました。
「置いてゆく辛さも、忘れられる怖さも、俺が誰より知っていたはずなのに……っ」
 ごめん、ごめん、と泣きじゃくる香川の額に、藍がそっと口づけを落とします。
「ずっと、あいして、る」
「お前、声……!」
 それが彷徨っていた〝藍〟の想いだったのでしょう。
 きらきら蛍の舞うように、はたまた霧の晴れるように、最期ににこりと綺麗に笑って、〝藍〟は消えていきました。
 ひとりになった香川は袖で乱暴に涙を拭います。それから、立ち上がって言いました。
「あいつは――岡山は、たぶん讃岐のところにいます。俺は今からそこへ行く。あなたを連れて」
「私を? ですが、私は……」
「あなたはもう、迷子じゃない。宛先のある手紙は正しく届けられるべきだ」
 香川の服装がスーツから制服のようなものへと変化していきます。
「だから、俺が備前を讃岐のところへ届けます」
 これでも一応、一日局長なんで。と、仕上げに帽子を被った香川が頼もしく笑いました。
「住所はわかりますか」
「ええ、もう大丈夫です」
 在るべきところへ帰りましょう。私も、貴方も。

 

 

 

 ここは、ヒトもモノもコトも、そして、過去も現在も未来も、なんでも流れ着く不思議な不思議な郵便局。
 いつかどこかの、誰かに届くその日まで。
 そうやって預けられたたくさんの想いのなか、探し物をしていた〝魔女〟の漂流は終わりを迎えるのでした。

 

 

 

 

 

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