過保護と言われながらも世話を焼いてきた子とこんな形で子離れする日が来るなんて、一体誰が思いましょう。
「鳥取、いま、何と……」
「え、えと……、どちら様ですか、て……」
 今日は中国地方と四国地方の合同会議だった。私は前の予定が押してしまい、少し遅れての合流となった。場所は鳥取県庁。息も整わないまま約束の部屋の扉を開ければ、一斉に突き刺さる視線、視線、視線。そこに流れる訝しげな空気。
「私です、岡山です、何かの悪い冗談ですか?」
「岡山さん、ですか……」
 誰かわかりますか、と困惑した鳥取が振り返って助け求めると
「何? 鳥取の押しかけ?」
 と、広島が鳥取を庇うように立ちはだかる。
「ごめんね、俺ら今から会議だから帰ってくれる?」
「っ、とぼけるのもいい加減になさい……! 私ですよ、わからないのですか!」
「は? 誰?」
 広島の警戒が強まる。会議室の奥では警備員を呼ぼうかと相談が始まる。私は廊下でひとり不審者のよう。それでも、これが質の悪いドッキリ企画でないことは嘘のつけない鳥取の様子を見れば嫌でも分かった。
(それなら香川は――、……ああ、そうですか)
 僅かな希望を求めた親友は苦しそうな顔でこちらを見ていた。何か言おうと口を開くもすぐに閉じて、そのまま顔を背けてしまう。
(ねえ、讃岐)
 いま貴方が私の髪に茉莉花を挿してくれたなら、この夢は醒めるのでしょうか。
「……お騒がせしてすみません、失礼しました」
 私は一歩身を引く。軽く頭を下げたまま、視界は自分の足元に。閉める扉は鉛のようで、その音は酷く冷たかった。
 そこからどうやって帰ってきたのかは覚えていない。県庁に戻ってきた時にはもう陽が色濃くなっていて、少しの焦燥感を覚えた。まだ大丈夫。お気に入りのペンを取り、想いを託して手紙を残す。宛先は、対岸にあるという不思議なあの場所へ。いつか貴方に届いてくれたら、それでいい。
 真白い封筒ひとつで自室を出る。定時を過ぎた庁内ではそれぞれが労いの言葉を掛け合う。その中に、私を呼ぶ者はいない。
(……あ)
 正面からやってくる人物がひとり。先日ぶつかったあの職員だった。彼女はまたもたくさんの資料を抱えて小走りに向かってきている。
(このままでは、また――)
 衝撃はなかった。彼女が歩を止めることも、資料を落とすことも、私に慌てて謝ることもなかった。私はいやに冴えた頭で彼女がするりと私の真ん中をくぐり去っていくのを眺めていた。
 人は皆ひとり孤独に死んでゆく、とはよく言ったもので、それは我々ゆる神も変わらない。ただ、それでも死に場所を選べる自分は幸せな方なのだと思う。
 県庁前。かたん、と透けかけた指先でポストへ手紙を押し込む。
「左様なら」
 信号が変わる。車が止まる。
 向かいの青がぴうぴうと鳴りだす。
 さびしんぼうは、一体だあれ。
「待ってたよ」
 夕焼け空の下、貴方が私の手を取りそっと唇を落とした。
「おかえり」

 

 

 

「おかえり、――〝備前〟」

 

 

 

 

 

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