聡い親友のことだ、きっと私のくだらない面映さなどお見通しなのだろう。
「俺、何かした?」
「別に何もありませんよ」
 朱色に染まる街を眺めるように外を見た。誰かに呼ばれているかのように、ふわりふわりと意識が持って行かれそうになる。最近子どもを預かっているという香川が忙しい合間を縫って会いに来てくれたというのに、これでは申し訳ない。
「なんか、ごめんね?」
「何がですか?」
 謝るべきは私の方だ。今だってまともに顔が見れずに手元の本に視線を落としたまま、向かいのソファからどうしたものかと下がり眉になった笑みを雰囲気だけで追っている。
(彼を思い出すから、だなんて、言える訳がないんですよ)
 香川は私に何もしない。彼とは違う。それは分かっているつもりだが、同じ顔に微笑みかけられるとどうしても身構えてしまう。私は、親友の姿をした知らない彼が、怖い。
 まったくページの捲られない本の端で対岸の友が動く。そうっと隣にやってきて腰掛ける。ゆっくり私の髪に触れ、絡まった糸を解きほぐすように上から下へ梳いてゆく。いつかの記憶に似ていたが、そこに恐怖は感じなかった。
「変な夢でも見た?」
 ――変な夢。夢。あれは、はたして夢なのだろうか。
「そうかもしれません」
「お前のことだから、どうせまた忙しさにかまけてソファで寝てたんだろ。ちゃんと布団で寝ないと疲れとれないよ」
「そうですね」
 仕事が忙しいからと仮眠程度の睡眠で済ますのはよくある話だ。嘘ではない。だけれど、そうではないのだ。私は大事な親友に隠しごとをしている。
 後ろめたさにさいなまれていると、ふいに香川がこめかみへと顔を寄せた。小さく肩が跳ねる。どうか気づかれていませんようにと、そんな願いを知ってか知らずか、香川は髪をひとつ嗅いですぐに離れた。
「岡山、シャンプー変えた?」
「いいえ。何かにおいますか?」
 怪訝な顔をしたまま、ふうん、とある一点を睨んでいる。私は目が合うようで合わない香川の顔を不思議に見ていた。
「……あ、やっと俺を見たね」
「え?」
 ああ、本当だ。いつの間にか本から顔を上げていた。今日はじめての新緑。先ほどまでの私の面映さはどこへやら、普段の振る舞いが戻っている。
「ふふ」
「何笑ってんの。心配したんだよ」
「それは、ふふっ、すみません」
 貴方はとんだお人好しだ。それでは誰も罠には嵌められまい。香川は香川、私のよく知る、私の親友。
(それなら彼は――讃岐は一体何なのでしょうか)
 そんな一抹の不安には蓋をして、私は隣の友人に体重を預けてみる。貴方になら少しぐらい甘えてもいいですよね、香川?

 

 

 

 

 

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