たたん、たたん――。
 親友と別れて数十分、岡山駅まであと何分。少しスピードの落ちる橋の上、心地のよい揺れに身を任せて、うつらうつらと夢の中。頬にやさしく触れた手はだあれ。
 ゆっくりと目蓋を上げると視界めいいっぱいに見知った顔があった。
「ああ、起きちゃったか」
 と、残念そうに離れた友は浮かせた腰を向かいの席に戻した。
(香川が、何故)
 ふわふわとした頭のままに、ふと周囲の不自然さに気づく。窓の外には沈みゆく太陽の名残りに染まる茜空が広がり、本来ならば家路を急ぐ人で賑わうはずの車内には人の影がない。私と目の前の男しか、ここにはいないようだった。
「どうかした?」
 私以外の唯一の神物が頬杖をついて穏やかに尋ねる。彼は私の友人。けれど、この場所にいるはずのない存在。見慣れたその瞳には知らない色が滲んでいる。
「……貴方は、誰ですか」
 対峙する彼は少し驚いてからくつくつと笑い、それからゆっくりと私の横へ移動した。壁側に追いやられて両の手を柔く包み込まれる。目の前に迫る夕焼け色の底が見えない、読めない。
「俺が怖い?」
 こちらの思考と全く同じ言葉が投げられて、びくりと反射で身体が跳ねる。
「はは。かわいいねえ、岡山」
 まるで壊れものにでも触れるかのように、再び彼が私の頬へ手をのばす。ふわふわ、ふわふわ、何が起きているのか理解の追いつかないまま、ぐちゃぐちゃの脳内で警鈴が響く。
「昔はこんなにまるくなかったのになあ」
 誰に仕込まれたのかな、と覗き込む知らない色から咄嗟に逃げようと顔をそらせば、顎を掴まれて強制的に前を向かされた。
「逃さないよ」
 人好きのする笑顔の奥で冷めた眼差しが私を貫く。汗が背中を伝う。誰、貴方は、一体誰。
「ねえ、あの時の返事、欲しい?」
「……あの時?」
 友の顔をした貴方が嗤う。顎に添えていた手で髪をかき上げ、私の耳元へ唇を寄せる。かかる吐息に腹の底がぞわりとうごめく。涙が出てしまいそうだった。
「〝親友でいてくれますか?〟」
 その台詞を聞くやいなや私は彼を突き飛ばした。
「要りません……っ! 貴方は香川ではないでしょう!」
 今度は本当に驚いたのだろう、体勢を崩した彼が大きくまばたきをする。
「その姿ならば私が手を出せないとでも思いましたか!? 馬鹿にしないでください!」
 声を張り上げる、肩で息をする。電車内でも構うものか、どうせ誰もいないのだから。
「っくく、はははは!」
 何が可笑しいのか、彼は変わらず香川の姿のままで大嗤いした。
「勘違いしてるみたいだから教えてあげるね。俺のこの姿に偽りはないよ」
「どういう意味――」
 一瞬で起き上がった彼に反応が遅れて片手で口を覆われる。
「讃岐という名に憶えはない?」
 私の動揺が伝わったのか、彼――讃岐が笑みを深くする。
「あーあ、もう少しでかわいい花を手折れるかと思ったのだけど」
 時間切れかな、と外を見やる。西の空はすっかり紺色へと移っていた。
「またね、泣き虫さん」
 と、讃岐が目元に触れるだけの口づけを落とす。
(泣いて……など……)
 文句のひとつも言えないまま次第に目蓋が重くなり、意識が遠のいてゆく。ふわり、ふわり、芳しい花の香りを残して。
(どうしてあの問を、貴方が……)
 それからどのくらい眠っていたのだろうか、車内のアナウンスは終点を告げ、すっかり元に戻った人の波が我も我もと外へ流れてゆく。ホームの光に反射して窓ガラスに映った私を見ると、かき上げられたままの髪に真白い花が差さっていた。

 

 

 

 

 

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