また来年も

 

 

 

 

 

 朱色みの増す太陽を屋根の向こうへ見送りながら、岡山は親友の到着を待っていました。「やり残した夏を一緒にしないか」と誘われて指定された古民家を訪れたものの、約束の時間よりもずいぶん早くに来てしまったのです。岡山は仕方なしに縁側で本を読むことにしました。
 時折、さわさわと中庭を涼風が通り、軒先の風鈴を揺らしてゆきます。遠くの方ではヒグラシが鳴いていました。
 しばらく読書を楽しんでいた岡山でしたが、ふいに顔の側を耳障りな高温が掠めます。猛暑で身を潜めていた彼女らも、過ごしやすい夕方になって出てきたのでしょう。
 岡山はあるものを探すために立ち上がりました。目当ての物はすぐ近くの戸棚の中にあったようで、丸い缶のなかから一枚だけ取り出し、ぐるぐると巻かれた先に火を付けます。そうしてブタの姿をした筒の中に置けば、やがて鼻先から煙が上がりました。岡山はそれを見届けてから再び本の世界へと旅立つのでした。
「ごめんね、岡山。遅くなっちゃって……――、おっと」
 それから少ししてやってきた香川は、誘った親友が縁側の座椅子へ収まって寝息を立てている姿を見つけます。
「いつから来てたの。待ちくたびれた?」
 岡山からの返事はありません。それをいいことに香川は彼のひとつに結われた髪を梳いて遊んでいましたが、いくら経ってもちっとも起きそうにないので諦めて夕飯の準備を始めることにしました。
 夜の帳が降りきったころです。
(――あれ、私いつのまに)
 薄ぼんやりと意識を浮上させた岡山が辺りを見回します。
「あ、起きた?そうめんあるよ」
 振り返った先には座敷の机に頬杖をついて笑う香川がいました。
「すみません、私としたことが居眠りなど」
「いいよ、疲れてたんだろ」
 それよりさ、とそうめんを食べに立ち上がった岡山を香川が眺めます。
「わざわざ浴衣着たんだね」
「夏を満喫したいと言ったのは貴方でしょう」
「まあね」
 香川はどこか満足気でした。
 ふたりは軽口もそこそこに、ぬるくなりかけたそうめんに手をつけます。定番の白だけではなくて、黄や緑、紫の麺もありました。
「カラフルですね」
「レモンとオリーブと、あと紫蘇を練り込んであるんだよ。あ、四角いスイカもあるよ」
「それは観賞用だったはずですが」
「知ってたか」
 他愛のない会話です。けれど、ふたりにとっては大切な時間でした。
「これで花火でも上がれば最高なんだけどなあ」
「ありますよ」
 食事も終えてくつろぐ香川に岡山が手持ち花火を差し出します。
「二本だけですが」
 何かのイベントで貰ったあまりだというそれは線香花火でした。
「やろうやろう」
 部屋の明かりを消して、開け放った縁側にふたり並んで腰かけます。そうして順番に花火の火を付けました。じじ、じじ、と音のした後に、今度はぱちりぱちりと橙色が爆ぜだします。岡山も香川も、静かに夏の残りが燃えてゆくさまを見守っていました。
「香川」
「なに?」
「線香花火の玉が落ちる前に火が消えたら、願い事が叶うそうですよ」
「へえ、……あっ」
 せっかく知り得たまじないを試す前に終わってしまった香川に対して、岡山は器用に玉を落とすことなく花火を終えたようでした。
「で、お前は何を願ったの?」
「秘密です」
 香川が教えてとじゃれついても、岡山は秘密の一点張りで口を割りません。そうこうしているうちに夜は深まり、虫たちの音色が中庭に響きます。
 秋はもう、すぐそこまで来ていました。

 

 

 

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