はじまりのたより

 

 

 

 セトウチと呼ばれる内海には七百宇余の島がありました。波のない穏やかな海、ぽつりぽつりと浮かぶ島々や、それらをつなぐ大きな橋、たくさんの行き交う船――これがセトウチの風景でした。
 ある時、ひとりの魔女がセトウチに迷い込んできました。彼女はとある小さな島に流れ着きます。その島はスクリューに似た形をしており、ヒトやモノ、現在や過去、そして未来までもが流れ着く不思議な島だと言われていました。
 そう、彼女もまた、探し物をして漂っていたひとりだったのです。
 魔女は島のちょうど真ん中あたりに古ぼけた建物を見つけて、自分の住処にしました。そこはとうの昔に役目を終え、今はただ静かに眠りにつくのみの郵便局でした。
「そうだ、貴方」
 と、魔女はあることを思いつき、郵便局に向かってふうと息を吹きかけたのです。
「私の探し物を手伝ってくださいませんか」
 こうして、スクリュー島の郵便局は様々な漂流物の終着点――いつかどこかの誰かに出会える場所――として生まれ変わりました。
 魔女は言います。
「ここは、懐かしい未来へつなぐ郵便局となるでしょう」
 ミシング・ポスト・オフィス、開局です。

 

 

 

「――で、その一日局長を俺に?」
「はい。この夏に周年記念のイベントがあるそうで、香川さんに是非とも、と」
 香川、と呼ばれた人物(いえ、この場合は神物と言った方が適当でしょうか)は、ふうん、と少し考えを巡らせたあとに、
「いいよ」
 と、人好きのする笑顔で答えました。
「それなら、噂の魔女とやらに会えるかな」
「それは設定上の話でしょう? あの郵便局は島おこしで作られたものじゃないですか」
 あなたが一番よく知っているくせに、と部下の青年は言います。
「冗談だよ」
 と、香川はおかしそうに笑います。彼はこの部下のように真面目な人物をからかって遊ぶ、少し困った性格をしていました。
「あいつも呼んだらくるかなあ」
「岡山さんですか? それは構わないでしょうが、公衆の面前でいちゃつかないでくださいね」
「……きみ、たまによくわからないことを言うよね」
 その言葉を聞いた部下は、これでよくも自覚がないものだと呆れました。なぜなら、香川とその岡山という神物はとても仲のよい(ええもう、それはそれはたいへん仲のよい)親友なのです。それはお互いとも口を開けばいつの間にやら相手の話をしているほどで、その話を聞かされている者が気の毒に思えるのです。そしていちばん質が悪いのは、本神らにはちっともその自覚がないことでした。けれども、ふたりを身近に知る者たちにとってはそれがありふれた日常であり、なにより今が平和である証なのでした。
 ここで少しばかり彼らの話をしておきましょう。
 この国には現在、四十七の地域があります。八百万の神がおわすともいわれる国ですから、その四十七の地域にもそれぞれ神様がおります。そして、このうどんとオリーブで名にし負う地域の神様こそ香川であり、彼はこの地域内のことならばまるで自分の身体のことのようになんでも分かるのでした。彼と親友である岡山もまた、この場所とセトウチを挟んだ向かい側にある、果物と天気のよさを謳う地域の生真面目な神様でありました。
 さて、貴方は近頃このふたりの間にとても立派な橋が架けられたのはご存知でしょうか。もともと船で行き来をしていたふたりでしたが、この橋を渡ればいつでもすぐに逢いに行けるとその仲をより深めているのです。そして正直なところ、私はこのふたりの仲をもう親友という枠には収めきれないのではないかとも思っています。
 閑話休題。
 どうやらあれから数日が経ったようです。今日の香川は地域の西にある港から船で十五分の島へ向かっていました。ええ、魔女が住まうというあのスクリュー島です。
「いやあ、楽しみだなあ」
「遊びに行くのではありませんからね」
「わかってるさ」
 季節は夏の足音が聞こえる少し前、香川はスーツとはいえども上着もネクタイも外し、袖は七分丈に捲った極めて簡単な装いであるのに対し、付き添いのあの部下の青年は、薄手の生地ではあるけれどきっちり着込んだ正反対の服装をしていました。
「暑くない?」
「あなたがラフ過ぎるんです。今日は打ち合わせだって言ったじゃないですか」
 こういうところが似てるよなあ、と香川は部下に親友の姿を重ねて嬉しくなりました。そうして軽口を叩いていれば十五分なんてあっという間で、気づけば船は目的の島に到着します。島に降りたふたりを待っていたのは、見慣れた郵便局員のものとは少し違うデザインの制服に身を包んだ老年の紳士でした。
「やっぱり魔女じゃなかったね」
「ミシング・ポスト・オフィスの局長をしております、田中と申します。見てのとおり、ただの老いぼれのじじいでございますよ」
 田中はやさしい笑顔で言います。
「皆様〝魔女〟とおっしゃいますが、本当は男性の魔法使いなんです」
「……それは、宣伝用に作られたお話ですよね?」
 と、部下の青年が返します。
「さあ、どうでしょうねえ。香川様のように地域を具現化した神様だっていらっしゃるぐらいですから、この世の中に魔女や魔法使いがいても不思議ではありません」
 田中はそこまで話すと、このまま立ち話も何ですから、と島の真ん中へふたりを案内しました。
 島でたったひとつの商店の横を抜け、猫の顔をした使い古されたブイの並ぶ畑を過ぎ、ようやく小径がひらけたところに、ぽつんとそれはありました。見た目はいたってよくある郵便局です。ひとつだけ違うとすれば、通りからよく目立つところに大きな消印の描かれた看板が立っていることぐらいでした。
「どうぞ」
 香川と部下が中に入ってまず驚いたのは壁一面の棚に収められた手紙の数でした。さらに建物の真ん中には銀の小箱のついた棒がまるで生け花のようにたくさん刺さっていて、こちらにも溢れんばかりのはがきや封筒が詰め込まれています。
「すごい量ですね……」
「これ全部がそうなの?」
「はい。ここにございます手紙はどれも届け先のわからない、そういう想いの詰まった手紙たちです。このミシング・ポスト・オフィスにて、いつかどこかの誰かに届くまでお預かりしております」
「それで、俺は一日局長で何をしたらいいのかな」
 香川は田中の話を聞きながら、銀の箱から適当に取り出したはがきを読んでいました。そこには取り壊された母校の思い出が挿絵とともに書かれています。
「まずは周年祭にたくさんの方が訪れてくださるように宣伝をお願いします。そして一通でも多くの手紙が届けられるべき相手と出会えるように、ご縁を結んでいただけたらと考えております」
「なるほどね」
 少し見て回ってもいいかな、と香川はまた別のはがきを取り出します。その手紙には亡くなったペットへの悲しみとしたためきれない愛が込められていました。
 しばらく局内の手紙を読み漁っているとわかるのですが、ここにはそれはもうたくさんの想いが集まっているのです。過去の自分、失くしたおもちゃ、どこかで眺めた美しい風景――。そのどれもが何かを祈らずにはいられないものばかりでした。
 香川がちょうど、どこかの少女が宛てた、未来の旦那さんへの手紙を読んでいたときです。小さな足音が駆けてくる音のあとに、とすんという軽い衝撃が脚に当たりました。
「え、子ども?」
 見ると四、五歳ぐらいの幼子が香川にしがみついています。やや短めに切り揃えられた前下がりの藍色の髪と品のよいセーラー服が、この子どもの育ちの良さを伝えていました。
「この島の子でしょうか」
 と、部下がかがんで子どもと目線を合わせます。しかし人見知りなのか、すぐにぷいと顔を香川の脚に隠してしまいました。
「いいえ、この島にはもう子どもはおりません。外からいらっしゃったのだとは思いますが……」
 田中が郵便局の外まで保護者を探しに行きましたが、それらしき人影はありません。
「ということは、迷子ですか」
「それはいけません。じきに最終便の船が出ます。急いで島内放送をかけましょう」
「いや、たぶん必要ないと思うよ」
 電話をかけようとした田中を香川が引き止めます。そうして子どもをじっと観察したまま、香川はとんでもないことを言いました。
「この子、人間じゃない」
「ええっ!?」
「それは、どういう意味でしょうか……」
 香川は飛び上がった部下と入れ違いで腰をおとして子どもと目を合わせます。不安そうな両手を握ってやれば、顔を背けることなく香川を見つめ返しました。
「何かは俺にもわからない。でも、ヒトではないね、お前」
 藍色の髪は縦にも横にも振られません。そうして、ついには俯いてしまいました。
「行くとこないなら、俺のとこに来る?」
 ああまた勝手に、と上から降ってくる文句を浴びながら、香川は髪より少し薄い色をした目に小さな期待がこもるのを見逃しませんでした。そうしてうんとひとつ返事をしたあと、子どもを抱えて立ち上がります。
「この子、俺が預かってもいいよね」
 それは眉間のしわを深くした青年の、盛大なため息が響いた瞬間でした。

 

 

 

 

 

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